野放図メモ。

根ガティブな腐女が野放図に書き散らかすメモです。

ドラマ「きのう何食べた?」はアニメ作品である。

しばらく空いてしまった間に世界はすっかり初夏ですね。

このブログはじめっとしたきのこが野放図に書き散らすためのものであり、じめっとしたきのこは躁状態でないとお天道様の元へは出られません。

現状、記事のアップを待ってくださっている方はいらっしゃらないでしょうし、仮にいらしたとしても、お待たせして申し訳ないという気持ちもありません。

だってわたし、腐ったきのこだもの。

 

というわけで本題です。

 

…………

 

きのう何食べた?

ご覧になってます?

ほんとシロさんかっこいいしケンジかわいいしご飯は美味しそうだしで毎週最高ですよね。

↑この一文に共感し、何食べドラマに満足しておられる方は、即お引き取りを。

ここから先を読むと、どんなご不快な思いをされるやもしれません。

わたしはわたしの好き勝手な感想を書きますので、ガチ勢からの苦情はノーサンキューなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいですか。

ではいきます。

 

 

 

 

 

きのう何食べた?

わたしは地方民なので、配信サイトで追いかけ視聴している勢です。

もともと毎週決まった時間をテレビの前で過ごす習慣はありませんし、そもそもテレビ自体ほぼ見ません。

たまに録画しても、そのまま忘れるのが常です。

でもよしながふみ先生の作品は大好きだし、先生の薄い本も所持しています。

なので今のところかろうじて見逃すことなく追いかけているのですが、なんというか、アレなんですよ。

 

何食べを見ていると、二週に一度は死にたい気分になるんです。

 

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おもひでぽろぽろ」って映画をご存じですか?

高畑勲監督のジブリアニメです。

わたしはこの作品と同じ理由で、「きのう何食べた?」を見ると死にたい気分になります。

 

もしくは三谷幸喜監督の作品を観たことがありますか?

これから挙げるある特徴が、三谷作品にも共通しています。

そしてそれは、ある意味「THE 有頂天ホテル」で極まった感があります。

 

 

ともあれわたしが何故これらの作品で死にたい気分になるのか。

それは共感性羞恥のせいです。

 

共感性羞恥というのは、ざっくり言うと「誰かが恥をかきそうになったり失敗しそうになると、まるで自分がその立場に立たされているように居たたまれなくなる」ことを指します。

正式な用語ではないようでWikipediaにも該当するページはありません。

ですが読んで字の如し。

他人の羞恥心に共感してしまい、見ているだけで恥ずかしくなるのです。

 

この感覚はわたしが幼い頃から持っていたものでした。

けれど感じないひとは全く感じないもののようです。

数年前に何かの番組で話題になったときに「おもひでぽろぽろ」を見ていられない感情と絡めたツイートが流れてきて、まさしく腑に落ちたのでした。

 

これはわたしがこれまでに触れてきた三谷作品、そして「おもひでぽろぽろ」だけでなく、たとえば一般人をドッキリに嵌めるようなバラエティ番組にも共通しています。

そして「感じるひと」と「感じないひと」がいるように、「どんなシチュエーションでどの程度感じるのか」についても個人差があるようです。

 

わたしの場合、「THE 有頂天ホテル」での、役所広司さん演じる申し分のない副支配人・新堂平吉が鹿を被ってスピーチするシーンで、とんでもなく死にたい気分になりました。

 

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きのう何食べた?」で死にたい気分になる理由。

ここまで長々と述べてきましたが、つまりこれと同じような心理により、わたしはほぼ二週に一度の死にたい気持ちを乗り越えなければなりませんでした。

 

これはわたし個人の特性なのですが、厄介なことにわたしは羞恥だけでなく、その人物の感じている居心地の悪さにも共感してしまうのです。

さらにこの厄介さがより厄介なのは、死にたい気分になるかどうかは作品やシチュエーションによってまちまちなので、わたしが耐えられるかどうかは見てみないとわからないこと。

もうこんなのほとんど事故です。

わたしも作品も悪くないんだよ。

 

ともあれ何食べについて具体的どのシーンかといいますと、たとえばシロさんがお母さんに「ゲイでも犯罪者でも息子は息子」と言われたところ。

ゲイと犯罪者を同列にするなよ、という当たり前のツッコミ以前に、わたしはそもそも母親とそんなことを話したがっていないシロさんが、そういう場面に身を置かねばならないという境遇に居心地の悪さを感じます。

 

また初期に頻発していた「ゲイバレするんじゃないか」という焦りや危惧は、それもまた不本意な状況に遭遇してしまったシロさんの心持ちに共感してしまい、もう見てられんわ、となります。

 

それからシロさんが「モテ期かも」と慌てるところ。

視聴者にはストーリー展開上そうじゃないとわかっているので、ああいったシーンも死にたい気分になります。

 

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さて、ここまではジャブです。

なんならこんな厄介な性質を持って生まれてしまったわたしに同情してくださる方もいらっしゃるかもしれません。

 

でもここからは本格的にストレートを打ちます。

拳で殴るぜ。

 

…………

 

ということで引き続き何食べについて。

次は別の角度。

では実際のところ何食べは、映像作品としてどうなのか、について触れていきます。

 

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まずはなんといっても主演のおふたり。

 

内野 聖陽さんですが、仕草や言葉遣いなどのオネェ感が、ついついといった具合に揃ってしまう膝頭からあふれ出していますね。

オネェキャラを演じるなら、まず膝を意識しろ。

そんな持論を持っているわたしとしては、内野さんの役作りはパーフェクトです。

これまであらゆる作品でオネェ役や女装を見るたびに、「小手先のクネクネ感じゃなく何よりもまずその開いた膝をなんとかしろよ」と興醒めさせられたことが幾度となくありました。

 

桜宮市民(海堂尊先生のサーガファンのローカル俗称)として、春に放送された「ブラック・ペアン」のドラマを完走した身としては、とても佐伯教授と同一人物だとは思えない。

いやどう見ても同じ顔面なんだけど、あのダンディがどうしてこうも別人になってしまえるのかという驚愕。

それまで存じ上げなかった俳優さんなのですが、この二作品だけでもじゅうぶんに凄さが伝わります。

 

ただなんというのでしょうか。

どうしてそう感じてしまうのか今のところ不明なのですが、どこか存在感が押しつけがましい。

確かに作中シロさんも明言している通り、ケンジは史郎にとって好みのタイプではない。

視聴者は視点人物としてのシロさんの心理に感情移入しているから、ところどころで端的にウザいと感じてしまうのかもしれない。

 

またどなたかが指摘されているように、食事中に肘を突いているのはどうなのか。

それからこれは演出のプランなのかご本人の役作りなのか、箸やストローをネチネチネチネチと手で弄る。

昨日の放送分(7話)などは、ネチネチネチネチとしつこく弄った挙げ句そのストローは使わずに、グラスから直飲みしてましたね。

そんなに弄ったらばっちくなっちゃうよね。

うんうん。

だったら弄るなと。

 

こういう部分って重箱の隅なんでしょうか。

わたしが細かいのかな。

でも神経質なシロさんは嫌がりそうって意味では、それほど的を外しているとも思わないのですが。

 

 

西島秀俊さんは立ち姿からお顔や所作など、ほぼ完璧なシロさん像だと捉えています。

 

喋らなければ。

 

この点については多くを語るつもりはありません。

ただ西島さん、どんな役を演じられていても決定的に「こころの一部が死んでいる」ひとになる。

ドラマでまともに観たのは「ストロベリー・ナイト」くらいなのですが、台詞回しなのかなんなのか、とにかくあの菊田は「こころの一部が死んでいる」。

姫川との関係性を考えると、もう少し感情の起伏が表出しても良いのでは、と思いました。

逆にハマっていたのは「メゾン・ド・ヒミコ」の細川役や「蛇のひと」の今西役。

セックスマシーンとサイコパスの役なので、どちらも「こころの一部が死んでいる」感じがぴったりでした。

 

そんなわけで、何食べにおけるシロさんも「こころの一部が死んでいる」。

7話目からオープニングが変わりましたが、前も今も最高ですね。喋らないから。

 

…………

 

ここまで主にキャストと演出について話してきました。

次は脚本についてです。

 

これ、遭遇する度にガン萎えするんですが、ある人物が電話を受け、相手が言ったことをそのまま復唱してしまう病。

普通に考えたら日常生活における電話で

「実は認知症の母が昨日から行方不明で」

「えっ、認知症のお母さんが昨日から行方不明なんですか?」

なんて復唱はしません。

せいぜい、

「えっ、それは大変ですね」

とかになりますよね。

でも映像作品では、電話相手の声が視聴者に聞こえていない場合、電話を受けた人物が相手の言葉を不自然に復唱するというのはあるんです。

「えっ、それは大変ですね」

と言ったところで、視聴者には「何か大変なことが起きた」としか伝わらない。

だから

「えっ、認知症のお母さんが行方不明なんですか?」

などという不自然な受け答えをさせてシーンを端折る。

 

ちなみにこれ、シチュエーションCDにもよく見られる病気です。

こちらの返答をキャラが復唱するという不自然な会話。

現在はどうか知りませんが、わたしがシチュCDを買い漁っていた頃にはよくありました。

シナリオの工夫でそんな不自然さはいくらでも解消できますよね。

 

 何食べにも、それに近い現象が起こっています。

 

「シロさんの作った食事について、どこがどう美味しいのかを、ひとくち目で解説してくれるケンジ」がそれに該当します。

 

パンに塗ったバターの塩みと載せたジャムの甘さのハーモニーがいかに美味しいか。

 他にもなんだったか、記憶していませんがいくつかありました。

 

言わないよ日常でそんなこと。

毎度毎度、どこがどう美味しいのかをテクニカルな視点から解説する感想。

そういう「人間生活の生理に沿わない」ものは、映画文法で映像を見るタイプとしてはとても萎えるわけです。

 

そこでわたし、はたと気付きました。

きのう何食べた?」は限りなく実写に近いアニメ作品である。

 これですよ。

実写だと思って見るからいけないんだ。

アニメ文法でなら、逆に原作に忠実な素晴らしい作品。

悪かった。

わたしが間違ってたわ。

何食べはアニメです!

 

…………

 

 

 

 

ここからは余談なのですが、確かに原作通りではある。

シロさんの作った食事を解説してくれるケンジ。

 きっと原作そのままの台詞なんでしょう。

 

でも残念ながらわたしに検証はできません。

なぜなら原作はとっくに手放したから。

 

ゲイの日常漫画は好きだけど、それ以上にわたし、食に興味ないんだ。