野放図メモ。

根ガティブな腐女が野放図に書き散らかすメモです。

禁煙をした。

禁煙をしました。

 

 

 

 

 

 

いやはやいやはや、今このたった一行を書いたところ、ふと疑問に思い「を」について検索しておりました長々と。

「禁煙」は名詞なので、禁煙「を」する、で問題ないですよね?

「を」を使わずに「禁煙する」とも言いますが。この場合、禁煙という「行為」をするので禁煙も動詞である、みたいな解釈ができてしまうんでしょうか?

名詞「job」と動詞「work」の違いみたいな感じ。

 

ちなみに「旅行」って単語ありますよね。

口語としては「旅行に行く」とか言っちゃうこともありますけど、文語としては「旅行」は「する」ものですよね。

これもまた以前に調べたとき、名詞「trip」と動詞「travel」がヒットして混乱してしまったのですが。

 

 

 

 

 

そんなことはどうでもいいんだよ。

わたしは禁煙に成功したんだよ。

 

それで本題なんですけどもね。

『禁煙すると、ひとはなぜ太るのか?』

このデッカイ疑問の答えを得ました。

 

なぜならば喫煙者の肉体にとって、食後の一服は食事終了の信号なのです。

ですのでその信号が届かない以上、身体にとってはいつまでも食事中なのです。

 

長年の喫煙習慣によってそう刷り込まれてしまっており、煙草を吸わなければいつまでもまだ何か食べたい。

そしてその欲求に抗えなければ当然、超過摂取したエネルギーは脂肪に変換されてしまいます。

 

 

 

 

 

いやぁ、参ったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原作との違いから見る「インディゴの気分」。①(仮)

お久しぶりです。すっかり寒くなりましたね。

本当はもっと頻度を上げて、特に意味のないことでもポストしていこうかと思っていたのですが、やはりわたしとこの場所の性質上、難しく。

普段から特段に無意なことばかり考えているので、またしても1ヶ月以上のご無沙汰となってしまいました。

 

さて、今回から新しく「ポルノグラファー」「インディゴの気分」の2作品について、ちまちま書いていこうかと思います。

もともと当ブログのスタートが、これをやりたくてのことだったので。ようやっと本筋に戻って参りました。

今日はとりあえず1話分の、主にドラマ化にあたっての改変部分及びその差異と、個人的なツッコミについてメモしていきます。

考察と呼べるほどの代物でもない単なるメモ書きですし、以降もさしてクオリティは上がらないかと思います。

なんかすみませんね、相変わらず腐女心が死んだままでして。

これはつまりわたしという存在のアイデンティティが喪失している状態なのですが、まぁそんなことはどうでもいいよね人類。

 

 

…………

 

1話

・冒頭

原作ラストのタクシーのシーンを挿入。

「俺たちはもうベッドになだれ込んだりしないのだ」→「俺たちはもうベッドになだれ込んだりしないのに」

台詞の変更。

前者は未練を強く打ち消す語尾。物語ラストとして最適。

後者は未練が残っていることを示す言い方。冒頭に挿し込むことで物語ラストまで興味を持続させる効果がある。

また、エピソードの順番を組み替えることで「ポルノグラファー」未見の視聴者にはこれは彼らの現在で、過去に何かあったのを今から見せていくのだと示す効果がある。

「ポルノグラファー」を見ていた視聴者には、これは久住と出会うまでのエピソードなのだと含ませることが可能。

 

・城戸、帰りの車内での独り言

「都内までけっこうかかりそうだな」

言わない。普通こんな説明台詞は言わない。

だったら100歩譲って、時計をチラッと見て

「遅くなりそうだな」

のがずっといい。

他の仲間はこの後まだ飲みに行く=そこまで遅い時刻ではない

ということが先に示されている。

その上で「遅くなりそう」って言わせれば遠いんだってわかるし、具体的な地名が出る前に、木島が歩いて帰ろうとしているっていうことがどれだけの奇行なのかということもじゅうぶんに察せられる。

また、この会話には土地勘のない視聴者にもそれを伝える意味合いがある。

 

・「インディゴの気分〜〜」の件のカット

部屋に入ってから城戸が著書を手に取るだけに置き換え

 

・水シャワーのシーン

原作では城戸は背中を向けている。木島がチラッと下を見るのはドラマオリジナルの演出。この時点で木島からの匂わせを足している。

 

・「作家なんかやめたほうがマシだ」

木島が城戸に「フゥッ」てするのは原作にはない。

これが演出の意図ならば、酒気を帯びた呼気を吹きかけることで、木島は酔っていると読み取れる。

この手のことは役者さんの演技プランとは考え難い。人間の生理としてやりたくないしやられたくもないから。

 

・1話ラストシーン

ブランデーを注ぎ、城戸から一方的にビールで乾杯する。

原作では飲んでいるのは木島だけ。これは相手を自分の意のままに操ろうという心理描写だが、ドラマでは互いに飲むことで共犯関係に引きずり込もうとしている。

 

…………

 

 

 

ざっとここまで書き出したんですが、1話につき2時間くらいかかるんですよね。たったこれだけのことなのに。

これ自体はずいぶん前に作っておいたんですが、なかなか続きに手を付けられず。

本当なら最終話までをまとめて公開としたかったんですが、いつまで経っても終わらないので現状でとりあえず投げます。

無題。

ある男がガード下の露店で、古びたランプを買った。

まだ十月の終わりだというのに、特に冷え込みの厳しい夜だった。

 

彼はごく一般的なサラリーマンだった。

平凡な大学を卒業して平凡に就職し、平凡な仕事に追われながら平凡に酒を飲む。

男なりに悩みや葛藤は抱えていたが、たった一歩の踏み外しで簡単に社会から弾かれてしまうことも人並みに知っている。

 

しかしただ平凡で平穏に生きてこられたことがこの世の中でどれほど恵まれたことなのかを自覚しつつも、男には夢があった。

子供の頃から朧気に意識しつつも、ついに叶えることのできなかった夢。

 

男は小説家になりたかった。

 

小学生の頃はノートにあらすじを綴るだけだった。図書館に入り浸るような子供だったので、最初は見よう見まねだった。

中学に入ると新人賞の原稿募集ページを集めてはファイルするのが楽しみだった。肝心の原稿は一度も完成しなかったが、しかし男は諦めなかった。

高校に入学して初めて、同じように小説を書く仲間ができた。初投稿作は一次選考も通らなかったが、それでも徹夜で書き上げたあの日の高揚感を忘れることはないだろう。

大学でも書き続け、講義そっちのけで執筆作業をしては、締め切りと単位修得に追われる日々だった。

そして今でも、男はひっそりと書き続けている。

 

とはいえ一般的な会社員であり、原稿に充てられる時間は限られている。

今夜のように上司との飲みに付き合わなければならない日もあるし、週末は趣味の映画を観たり友人との交流もある。忙しければ休日出勤をしなければならず、勤続年数とともに責任も増す世代だ。

それでも男は書き続けていた。

 

酔った上司をタクシーに乗せ、さてと駅へ向かう道すがらにその露店はあった。

安物のアクセサリーや何だかよくわからないオブジェに囲まれて、そのランプだけが輝いて見えた。

財布から何枚の紙幣を支払ったのかも記憶にない。

それが品物に見合う額だったのかも怪しいが、とにかく男はそれを部屋へ持ち帰った。

 

狭いワンルームはこのところ掃除する時間もない。惣菜やインスタント食品のゴミの詰まった袋を避け、男はデスクにランプを置いた。

こうして改めて眺めてみても、やはり美しいフォルムをしている。

だが初めて目にしたときのような輝きは感じられず、男はそれを磨いてみることにした。

古いタオルで曲面を拭ってやる。すると煤汚れのようなものが落ち、ランプは元の輝きを取り戻したかのようだった。

自分に目利きの才能があるとは思えないが、これはきっといい買い物だったはずだ。

明日の朝になって財布の軽さと古ぼけたランプを見比べて、ため息をつくことにならなければいいが。

そんなことを考えながら、手を洗ってタオルを洗濯機に放り入れた。

風呂は朝でいいだろう。

疲れていたし、もう遅い。

部屋着に着替えて就寝準備をし、部屋の明かりを消す。

 

『俺を呼んだのは、おまえか』

 

暗闇から不意に、そんな声がした。

隣の部屋から漏れ聞こえるテレビの音、などではなかった。

明瞭な響きは明らかに室内からのもので、そして今の今までここには自分しかいなかった。

再び電灯のスイッチを点けると、やはり誰の姿もない。念のためクローゼットやユニットバスも確かめてみたが、誰も隠れてはいなかった。

 

「……誰だ?」

 

虚空に向かい呼びかける。

それほど酔ってはいないはずなのだが、酔っ払いほど酔っていないと主張するものだ。

だとすると今の自分は、道ばたで寝ている酔漢以下なのだろうか。

 

「誰……」

 

『俺を呼んだのは、おまえか』

 

同じ台詞が繰り返された。

そして男は直感的に、あのランプが喋ったのだと悟った。

どうしてそう思うのか、合理的な説明などできない。

だがもしかすると、あのランプには音声を発する玩具でも仕込まれているのかもしれない。

いったんはそう思いかけたのだが、けれど本能がそれを否定する。

あぁ、頭がおかしくなってしまったのか。

混乱しながらも、恐る恐るランプの蓋を開けてみる。

中は空洞で、覗き込んでもスピーカーの類いは見当たらない。

 

『おまえが俺を呼んだんだな』

 

今度こそ、男は知った。

声はランプの中から響いていて、意思を持ち会話を試みている。

 

「……何故」

 

『俺はおまえの願いを叶えるためにここに来た。おまえの願いを言え』

 

「対価は何だ」

 

これはよくある、魔法のランプだ。もしくは猿の手のミイラ。

願いを叶えるたびに何かを奪われ、最後には命を差し出すことになるという。

そう考えて問うたのだが、しかしランプは冷笑に似た声を上げた。

 

『そんなものは必要ない。俺はおまえの願いを叶える。それだけだ』

 

「何のために。何が目的でそんな……」

 

『俺のようなものがただ善行を成すのはそんなにおかしなことか』

 

言われてみれば、魔法のランプのラストはハッピーエンドだった。

猿の手は不幸になったが、これはランプだ。

 

「わかった」

 

男は胸に秘めた願いを口にする。

それは子供の頃から抱き続けた夢。

 

「小説家になれる才能がほしい」

 

言葉にした途端、喉の奥から十年前の情熱がせり上がってきた。

時間をかけて封印し、何度も諦めようとしてしかし捨てきれなかった夢。

男は作家になる才能を、喉から手が出るほど欲していた。

 

 

 

 

 

 

 

翌朝になって再びランプを手に取ってみたが、それはただの古ぼけたランプだった。

蓋を開けても声は聞こえず、昨夜見たのは夢だったのだと思うことにした。

 

数年後、結婚をして引っ越すときに紛失してしまい、それきり男はランプの存在自体を忘れてしまった。

 

男が作家になったかどうかは、わたしの知るところではない。

普通に元気とかねーから。

また随分とご無沙汰になってしまいました。

いやぁ、ここは特性上、内容のない記事をポストしても意味がないと考えておりましてね。

夏中がんばっていたジムを最近サボりがちであるとか、PS4でゲームばかりして遊んでいることとか、アンソロを発行する予定だったイベントが台風の直撃に遭いまさかの中止であるとか、そういう益体のないことを書いても仕方がないと思っておりまして。

 

如何せんこのところ、わたしのアイデンティティであるところの腐女心が死んでいる。

 

商業BLは変わらず嗜んでいるのですが、やはり二次創作的な意味での萌えがないことにはわたしの腐女心は熱くならないのですよ。

その要因が今月に入ってからぶり返した鬱なのが、それとも因果が逆なのか。

どちらにせよ新たなる地平を求めて冒険することが億劫で堪らなく、かといって同じ温泉に浸かり続けていてもテンションがヒャッホウとなることはないわけで。

 

気温と気圧が安定しないことには、普通に元気とかねーから。しんど。

といった具合の日々を送っております。

 

内容なんてないよ。つまらなくてごめんね。

また躁転したら何か楽しい記事をエントリしに来ます。

腐女が実写BLに求めるもの。

脱稿したよ! ヤッターー!!

編集作業はまだこれからなんですが、ひとまず穏やかな気持ちでお盆休みを迎えられそうです。

 

…………

 

で、だ。

これまでのエントリで「ポルノグラファー」と「インディゴの気分」を褒めちぎってきた腐女なんですけども、ふと思ったんですよ。

あぁ、これじゃ誤解されて仕方がないなぁ、と。

 

これまでの腐歴を綴った過去記事にもあるように、わたしはBLCDやゲイビデオを通ってきております。

また最近では、素人ゲイカッポーのセックス音源がアップロードされているYoutubeチャンネルも頻繁に漁っておりまして、そこにも推しを発見しました。

興味がある方はちょっと探してみるといいですよ。まじえろい。

あ、訊かれてもどのチャンネルかは教えませんのであしからず。各自エロスへの飽くなき探究心を発揮するのだよフハハハ。

 

そんな腐女なもので、「ポルノ」「インディゴ」の両作品を、『ちゃんとエロいセックスシーンを描写した』から評価しているんだと勘違いされているのではないかと。

まぁそこまで間違っちゃいないんだけどさ、でも厳密には違っていて。

今回はそんなお話をしたいと思います。

 

…………

 

『ちゃんとエロいセックスシーンを描写した』ドラマ作品。

ただそれだけでいいのなら、ゲイビレーベルからそういった仕立ての作品もたくさん出ています。

男優さんにどこかの流行漫画のコスプレをさせ、二次創作にありそうなシナリオ通りの台詞を喋らせ、腐女の好みそうなエロを挿入する。

またはレーベルの作家が書いたのであろう、素人丸出し中二病設定の安いポルノドラマ。

 

でもそこに一定レベルのドラマとして体を成した作品はありません。

いいですか、ありません。

えぇ、失礼ですね。本当にごめんなさい。それほどたくさんの作品を知っているわけでもないのに、偉そうにして申し訳ないです。

 

でももし仮にそんなクオリティの作品があるのなら、腐女界隈で話題に上らないはずがないのです。もしゲイビ界隈に、実写に不慣れな二次元愛好腐女にも安心して薦められる作品が存在するのであれば、きっととっくにtwitterなりでバズって話題になってるはずなのです。

けれど現状、そうはなっていない。

むしろわたしが知らないだけなら叱ってください。エロへのリサーチ力はまだまだ中の下、ですので。

 

つまりそちらの作品に、ドラマとしての質を求めるのは間違いなのです。

別にそういった作品を貶めるつもりはありません。ただゲイビレーベルから出ている以上、セックス以外を求めるのは違うのです。つまり用途が違うのであって、極限までモザイク処理の少ないカメラワークで、イケメンとイケメンのセックスを実写で見たい層にとって、これ以上のものはありません。需要があるからこそ、供給側はそれを商売として成り立たせることができるのですから。

 

 

さて。

では次に「ポルノグラファー」と「インディゴの気分」がドラマとしてどうだったか、というお話です。

何がどう素晴らしかったのかについて、多くは語りません。だってみんな知ってるもんね。

「演技力のあるキャスト陣」、「原作の良さを損なわず、上手く三次元にフィックスさせた脚本」、「品のある演出」、このあたりだけでもじゅうぶんに傑作のできあがる要素を満たしていますよね。

さらに配信限定だったのも功を奏していたと思います。

監督・脚本を務められたのは、長く民放ドラマや映画、バラエティで活躍してこられた方。そんな監督なので、当然ながら地上波でできるギリギリをご存じでしょうし、だからこそ配信限定ならではの攻めた芝居を作ることができたのではないかと考えています。

 

…………

 

ここまでを踏まえたところで、少し『わたしにとってのBL』を語らせてください。

 

あくまで個人的見解となりますが、わたしの愛好する『BL』とは、ミクロに分解すると

「おまえがおまえだから好き」

ということになります。

そこにある背徳感や禁忌感などはあまり重視しておらず、極端に述べるならば、わたしにとって『BL』とは単に「女性性の排除」なのです。

 

これはわたしの個人的な生い立ちや「女性性」というものへの考え方が起因するのですが、要するに

『女性性(=主体的自分自身)の排除』

を求めた結果、最も居心地の良いラヴでありエロが『BL』というかたちに濾過されたのですね。

なので二次元に傾倒して生きてきたわたしの人生経路に「夢女」はありませんし、受けまたは攻めへの自己投影願望もありません。わたしは所謂、「推しCPがセックスしている部屋の天井になりたい」系腐女です。

そしてわたしの愛する完璧な世界であるところの『BL』の中には、不完全でゴミみたいに醜いきのこは存在してはならないのです。

 

 

わたしはそんな『BL』観を肥大させながら生きてきた腐女なのですが、同性間恋愛と友情との境目をどこに置くかを考えるとき、やはりセックス(身体的接触欲求)のあるなしなのではないかと考えています。

「おまえがおまえだから好き」

これって少年漫画でも成立しそうな台詞ですよね。この時点ではまだ純粋な友情の余地がある。

そしてこの台詞が『BL』になるには、やはり

「おまえがおまえだから好き。おまえの何もかもを独占したい」

まで必要になってくると思うのですよ。

 

結論:よって『BL』とセックスは不可分である。

「ラヴ」と「エロ」の両輪がうまく回ってこそ、『BL』は成立するのです。

※個人的見解です。

 

…………

 

それでは改めて「ポルノ」「インディゴ」両作品の話題へ戻ります。

 

『ちゃんとエロいセックスシーンを描写した』から素晴らしい。

そういった側面も確かにあります。

けれどここまでの一連をお読みいただければ、もうそれだけでないことはご理解いただけたのではないかと思います。

 

地上波ドラマ、もしくは邦画的基準で一定レベルに達している作品が、単なる友情とは一線を画し『BL』にとって肝(キモ)ともいえるセックスシーンを勿体ぶらずに描いてくれた。

 

この点を、わたしは素晴らしいと述べてきたのです。

そう。これまでの実写BL作品には、ラヴはあってもエロはなかった。

もっと言えば、エロを排除することによって薄まってしまった、氷の溶けきったカルピスみたいなラヴしかなかった。頼むからカルピス濃くしておくれよぉ。むしろ原液そのまま飲みたいんだよぉ。浴びるほどのカルピスおくれよぉ。

欲望を感じさせる濃厚なキスシーンすら、映画でも観たことありません。

そんな餌を啄む小鳥さんみたいなチューで「愛してる」とか言われても冷めますわ~~。おまえのポテンシャルはそんなもんなのか!? もっと性欲出してこいよ!! BLとエロは切っても切れないんだよ!!!! などと叫んだところで、台本のト書きにそうとしか書かれていないのなら仕方がない。役者さんは悪くないし、実写BLにそこまで求めるわたしが異端であり間違ってるんだよね。自己肯定感ダダ下がり。

もっともこの点のみでいうならば、邦画全体でもエロいちゅーする恋愛ものすら少ないですよね。そんな中でも「娼年」はスゴかった……松坂桃李くんスゴかった……

 

…………

 

長かったですね、スミマセン。そろそろ締めにかかります。

 

「ポルノグラファー」と「インディゴの気分」がここに至るまでには、まず企画を通してくれたてれびの偉いひと、素晴らしい脚本と演出を手がけてくれた監督、スタッフの方々、そして何よりも、オファーを受け、体当たりの本気で役に挑んでくれたキャスト陣にスタンディングオベーションで賞賛を贈るとともに、心の底からの謝辞をお伝えしなければならないのではないでしょうか。

 

こんなにも素晴らしい作品を、本当にありがとうございます。

 

原作の続編が連載中とのことで、コミックス派のわたしは単行本にまとまるのを首を長くして待っているのですが。

 

ドラマも続々編あるといいねぇ。

季節と衣食。

もう完全に夏ですね。締め切りまであと半月……フォォォォ……

 

 

 

さておき、季節が変わる毎にボンヤリと(去年の今頃は何着てたっけ)という症状が出ます。クローゼットは収容率120%なのに、なぜか明日お出かけするための服がない。あるのにないとは摩訶不思議。服を買いに行くための服がないんだよ。どうしたらいいの困るぅ。

 

しかしまぁ夏の間は引きこもるので明日も明後日もお出かけしないし、いつも全身UNIQLOです。リラコ最高。

 

 

同様に(去年の今頃は何食べてたっけ)という症状も四半期毎に出ます。いっそオールシーズン鍋でいい。肉と野菜をバランス良く食べられる鍋という文化の素晴らしさ。ご飯も進むし決断コストもかからない。真夏に鍋したっていいじゃない。鍋最高。やだ暑い。

 

そういった思考経緯で、手軽に解決とはいかないのが食問題。

 

でも先日スーパーを徘徊していたところ、不意に思い出したのです。

(たまごどうふ……たまごどうふだ……去年の夏、わたしは毎日たまごどうふを食べていた……)

まるで霧が晴れたかのようにスッキリとし、いそいそとたまごどうふの三連パックをカゴに入れました。

 

 

 

人間が何かを決断するのには常にコストがかかっていて、それは磨り減るものなのだそうです。

なので作文中は語彙選択の決断にできるだけたくさんのコストをかけたい。だから服や食べ物に無駄なコストをかけたくない。どうせやるなら全力で遊びたい。

夏休みの小学生みたいな発想です。

でもわたしはとっくに成人しているので、後回しにして困る宿題もない。素晴らしい。

 

 

ただただ目の前にあるのは自分で設定した締め切りのみ。

 

遊んでないで原稿やるね。うん。