お暑う御座いますね。
今週にも梅雨が明け、本格的な夏到来って感じで今からこころがしおしおです。
じめじめと薄暗い裏庭に生えたきのこにとって、通年で過ごしやすいのは窓からの風が気持ちいいと感じられる期間のみ。
汗で肌荒れするし島国特有のまとわりつくような湿気でイライラ、かといってエアコンを使い続けるのもそれはそれでいろんなところに支障が出たりと、夏ってだけで蝉の声にも腹立ちがする思いです。
それはさておき、気がつけば2ヶ月も放置しておりました。
以前にも申しましたように、ここは躁状態でないと開かない場所でして。
5月に春期鬱を抜けて以降、至って普通に元気でしたもので今日までのご無沙汰となってしまいました。
普通に元気。
うん、ありがとう。
このところは週二を目標にジム通いを始めたり、秋に向けてアンソロ原稿やらなきゃだったりと、普通に元気に暮らしています。
普通に元気って素晴らしい。
ありがとう元気。
やはり書きもの作業って朝が効率的なわけで。
しばらく前から締め切り的なアレと遅筆的なアレによって尻に火が点き、早起きし原稿作業に勤しんでおりました。
そしたらしっかり朝ご飯を食べるようになりましてね。ありがとう健康。
わたしもう十年以上、朝は甘いミルクコーヒーのみで過ごしてきているのですよ。
そりゃ食った分だけ肥えるよね。だよね自然の摂理。
そうした事情によりやむにやまれずのジム通いなのです。
いやぁ健康。
この生活が続けられれば、不随意に鬱に落ち、躁に蹴り飛ばされる不安定から解放される気がするのですが。
…………
今日はどうでもいい話ですみませんね。
現状『腐力』の全てを原稿に注いでおりまして、実写版「どうしても触れたくない」を観た話とか「おっさんずラブ」劇場公開間近ですねとか「君の名前で僕を呼んで」原作がいかに素晴らしかったかとかゲイビ的観点から「インディゴの気分」でのセックスは体位に無理がある話とかを詳しく語ることはできませんが、原稿が終われば、今後は躁でなくても普通に元気に記事をエントリしにこようと思います。
ドラマ「きのう何食べた?」はアニメ作品である。
しばらく空いてしまった間に世界はすっかり初夏ですね。
このブログはじめっとしたきのこが野放図に書き散らすためのものであり、じめっとしたきのこは躁状態でないとお天道様の元へは出られません。
現状、記事のアップを待ってくださっている方はいらっしゃらないでしょうし、仮にいらしたとしても、お待たせして申し訳ないという気持ちもありません。
だってわたし、腐ったきのこだもの。
というわけで本題です。
…………
「きのう何食べた?」
ご覧になってます?
ほんとシロさんかっこいいしケンジかわいいしご飯は美味しそうだしで毎週最高ですよね。
↑この一文に共感し、何食べドラマに満足しておられる方は、即お引き取りを。
ここから先を読むと、どんなご不快な思いをされるやもしれません。
わたしはわたしの好き勝手な感想を書きますので、ガチ勢からの苦情はノーサンキューなのです。
いいですか。
ではいきます。
「きのう何食べた?」
わたしは地方民なので、配信サイトで追いかけ視聴している勢です。
もともと毎週決まった時間をテレビの前で過ごす習慣はありませんし、そもそもテレビ自体ほぼ見ません。
たまに録画しても、そのまま忘れるのが常です。
でもよしながふみ先生の作品は大好きだし、先生の薄い本も所持しています。
なので今のところかろうじて見逃すことなく追いかけているのですが、なんというか、アレなんですよ。
何食べを見ていると、二週に一度は死にたい気分になるんです。
…………
「おもひでぽろぽろ」って映画をご存じですか?
わたしはこの作品と同じ理由で、「きのう何食べた?」を見ると死にたい気分になります。
もしくは三谷幸喜監督の作品を観たことがありますか?
これから挙げるある特徴が、三谷作品にも共通しています。
そしてそれは、ある意味「THE 有頂天ホテル」で極まった感があります。
ともあれわたしが何故これらの作品で死にたい気分になるのか。
それは共感性羞恥のせいです。
共感性羞恥というのは、ざっくり言うと「誰かが恥をかきそうになったり失敗しそうになると、まるで自分がその立場に立たされているように居たたまれなくなる」ことを指します。
正式な用語ではないようでWikipediaにも該当するページはありません。
ですが読んで字の如し。
他人の羞恥心に共感してしまい、見ているだけで恥ずかしくなるのです。
この感覚はわたしが幼い頃から持っていたものでした。
けれど感じないひとは全く感じないもののようです。
数年前に何かの番組で話題になったときに「おもひでぽろぽろ」を見ていられない感情と絡めたツイートが流れてきて、まさしく腑に落ちたのでした。
これはわたしがこれまでに触れてきた三谷作品、そして「おもひでぽろぽろ」だけでなく、たとえば一般人をドッキリに嵌めるようなバラエティ番組にも共通しています。
そして「感じるひと」と「感じないひと」がいるように、「どんなシチュエーションでどの程度感じるのか」についても個人差があるようです。
わたしの場合、「THE 有頂天ホテル」での、役所広司さん演じる申し分のない副支配人・新堂平吉が鹿を被ってスピーチするシーンで、とんでもなく死にたい気分になりました。
…………
「きのう何食べた?」で死にたい気分になる理由。
ここまで長々と述べてきましたが、つまりこれと同じような心理により、わたしはほぼ二週に一度の死にたい気持ちを乗り越えなければなりませんでした。
これはわたし個人の特性なのですが、厄介なことにわたしは羞恥だけでなく、その人物の感じている居心地の悪さにも共感してしまうのです。
さらにこの厄介さがより厄介なのは、死にたい気分になるかどうかは作品やシチュエーションによってまちまちなので、わたしが耐えられるかどうかは見てみないとわからないこと。
もうこんなのほとんど事故です。
わたしも作品も悪くないんだよ。
ともあれ何食べについて具体的どのシーンかといいますと、たとえばシロさんがお母さんに「ゲイでも犯罪者でも息子は息子」と言われたところ。
ゲイと犯罪者を同列にするなよ、という当たり前のツッコミ以前に、わたしはそもそも母親とそんなことを話したがっていないシロさんが、そういう場面に身を置かねばならないという境遇に居心地の悪さを感じます。
また初期に頻発していた「ゲイバレするんじゃないか」という焦りや危惧は、それもまた不本意な状況に遭遇してしまったシロさんの心持ちに共感してしまい、もう見てられんわ、となります。
それからシロさんが「モテ期かも」と慌てるところ。
視聴者にはストーリー展開上そうじゃないとわかっているので、ああいったシーンも死にたい気分になります。
…………
さて、ここまではジャブです。
なんならこんな厄介な性質を持って生まれてしまったわたしに同情してくださる方もいらっしゃるかもしれません。
でもここからは本格的にストレートを打ちます。
拳で殴るぜ。
…………
ということで引き続き何食べについて。
次は別の角度。
では実際のところ何食べは、映像作品としてどうなのか、について触れていきます。
…………
まずはなんといっても主演のおふたり。
内野 聖陽さんですが、仕草や言葉遣いなどのオネェ感が、ついついといった具合に揃ってしまう膝頭からあふれ出していますね。
オネェキャラを演じるなら、まず膝を意識しろ。
そんな持論を持っているわたしとしては、内野さんの役作りはパーフェクトです。
これまであらゆる作品でオネェ役や女装を見るたびに、「小手先のクネクネ感じゃなく何よりもまずその開いた膝をなんとかしろよ」と興醒めさせられたことが幾度となくありました。
桜宮市民(海堂尊先生のサーガファンのローカル俗称)として、春に放送された「ブラック・ペアン」のドラマを完走した身としては、とても佐伯教授と同一人物だとは思えない。
いやどう見ても同じ顔面なんだけど、あのダンディがどうしてこうも別人になってしまえるのかという驚愕。
それまで存じ上げなかった俳優さんなのですが、この二作品だけでもじゅうぶんに凄さが伝わります。
ただなんというのでしょうか。
どうしてそう感じてしまうのか今のところ不明なのですが、どこか存在感が押しつけがましい。
確かに作中シロさんも明言している通り、ケンジは史郎にとって好みのタイプではない。
視聴者は視点人物としてのシロさんの心理に感情移入しているから、ところどころで端的にウザいと感じてしまうのかもしれない。
またどなたかが指摘されているように、食事中に肘を突いているのはどうなのか。
それからこれは演出のプランなのかご本人の役作りなのか、箸やストローをネチネチネチネチと手で弄る。
昨日の放送分(7話)などは、ネチネチネチネチとしつこく弄った挙げ句そのストローは使わずに、グラスから直飲みしてましたね。
そんなに弄ったらばっちくなっちゃうよね。
うんうん。
だったら弄るなと。
こういう部分って重箱の隅なんでしょうか。
わたしが細かいのかな。
でも神経質なシロさんは嫌がりそうって意味では、それほど的を外しているとも思わないのですが。
西島秀俊さんは立ち姿からお顔や所作など、ほぼ完璧なシロさん像だと捉えています。
喋らなければ。
この点については多くを語るつもりはありません。
ただ西島さん、どんな役を演じられていても決定的に「こころの一部が死んでいる」ひとになる。
ドラマでまともに観たのは「ストロベリー・ナイト」くらいなのですが、台詞回しなのかなんなのか、とにかくあの菊田は「こころの一部が死んでいる」。
姫川との関係性を考えると、もう少し感情の起伏が表出しても良いのでは、と思いました。
逆にハマっていたのは「メゾン・ド・ヒミコ」の細川役や「蛇のひと」の今西役。
セックスマシーンとサイコパスの役なので、どちらも「こころの一部が死んでいる」感じがぴったりでした。
そんなわけで、何食べにおけるシロさんも「こころの一部が死んでいる」。
7話目からオープニングが変わりましたが、前も今も最高ですね。喋らないから。
…………
ここまで主にキャストと演出について話してきました。
次は脚本についてです。
これ、遭遇する度にガン萎えするんですが、ある人物が電話を受け、相手が言ったことをそのまま復唱してしまう病。
普通に考えたら日常生活における電話で
「実は認知症の母が昨日から行方不明で」
「えっ、認知症のお母さんが昨日から行方不明なんですか?」
なんて復唱はしません。
せいぜい、
「えっ、それは大変ですね」
とかになりますよね。
でも映像作品では、電話相手の声が視聴者に聞こえていない場合、電話を受けた人物が相手の言葉を不自然に復唱するというのはあるんです。
「えっ、それは大変ですね」
と言ったところで、視聴者には「何か大変なことが起きた」としか伝わらない。
だから
「えっ、認知症のお母さんが行方不明なんですか?」
などという不自然な受け答えをさせてシーンを端折る。
ちなみにこれ、シチュエーションCDにもよく見られる病気です。
こちらの返答をキャラが復唱するという不自然な会話。
現在はどうか知りませんが、わたしがシチュCDを買い漁っていた頃にはよくありました。
シナリオの工夫でそんな不自然さはいくらでも解消できますよね。
何食べにも、それに近い現象が起こっています。
「シロさんの作った食事について、どこがどう美味しいのかを、ひとくち目で解説してくれるケンジ」がそれに該当します。
パンに塗ったバターの塩みと載せたジャムの甘さのハーモニーがいかに美味しいか。
他にもなんだったか、記憶していませんがいくつかありました。
言わないよ日常でそんなこと。
毎度毎度、どこがどう美味しいのかをテクニカルな視点から解説する感想。
そういう「人間生活の生理に沿わない」ものは、映画文法で映像を見るタイプとしてはとても萎えるわけです。
そこでわたし、はたと気付きました。
「きのう何食べた?」は限りなく実写に近いアニメ作品である。
これですよ。
実写だと思って見るからいけないんだ。
アニメ文法でなら、逆に原作に忠実な素晴らしい作品。
悪かった。
わたしが間違ってたわ。
何食べはアニメです!
…………
ここからは余談なのですが、確かに原作通りではある。
シロさんの作った食事を解説してくれるケンジ。
きっと原作そのままの台詞なんでしょう。
でも残念ながらわたしに検証はできません。
なぜなら原作はとっくに手放したから。
ゲイの日常漫画は好きだけど、それ以上にわたし、食に興味ないんだ。
ゲイビとBLCDの用途の違い。
今回は上記の2エントリで述べた、ゲイビとBLCDについての補足記事となります。
ここからはエロに特化したお話なのですが、ざっくり大雑把に大別すると、ゲイビデオは目で楽しみ、BLCDは耳で楽しむものです。
当たり前やん。
って思ったでしょ!!
でもちょっと違うのよ!!!!
いいから聞いて!!!!!!
……
わたしはこうした作品について、殊エロに関しては、
『受け(ネコ)ちゃんがいかに気持ちよくなっているか』
を重視しています。
無理矢理だとか痛みに耐えているとか痴漢だとかの、嫌がる受け(ネコ)には全く微塵もそそられません。
これはノーマルAVにも共通していて、女の子が嫌がっているシチュエーションには反吐が出ます。そして現在の国内産AVにはそういったものが多く見られます。まぁそもそもターゲティングされていない腐女は、嫌なら見るなと言われておしまいなのでしょうが……
さておき、わたしがゲイビデオ界で第二の推しを見つけられなかった理由に、「顔と声のどちらもが好みの男優さんがいない」問題がありました。
サンプルやジャケット写真では、顔が良い男優さんはいっぱいいます。
それこそなんで芸能人じゃないのと思うようなイケメンやアイドル並みの可愛さの子は、メーカーサイトにはバンバン出てきます。
いまさら写真詐欺だなんて言うつもりはありません。
わたしもいい歳の腐女なので、芸能人じゃなくても画像加工していることくらい知っていますし、そんな初心でもないのです。
むしろこちらの方が重要で、いざサンプル動画を再生してみると、わたしの求める喘ぎ声にはほぼ出会えません。
まずノンケ男性のデビュー作で初めてのアナルセックスまで、というコンセプトの作品だと、気持ちよくなる才能のある子はほぼいません。
それでも最終的に気持ちよくしてしまえるテクを持ったタチ役の男優さんもいるにはいらっしゃいましたが、ここでは話したくないので割愛します。
逆に撮影回数を重ねることで、喘ぎがわざとらしく、芝居っぽくなることもあり。
特にわたしが愛好していた『腐女向けタイトル』では、その傾向が強かったように思います。
逆に声がストライクでも、表情が悲しいくらい好みでなかったり。
なのでサンプルの再生に悲観してはBLCDで気持ちいい喘ぎに癒やされる、という行為を繰り返していました。
つまり冒頭でも述べましたが、ゲイビデオは目で楽しみ、BLCDは耳で楽しむものなのです。
BLCDが耳でしか楽しめないのと同じように、ゲイビデオも目でしか楽しめない。
このニュアンスの違いがおわかりいただけたでしょうか。
ちなみに「表情の好み」についてはBL漫画とも領域が被っていて、生身の人間である以上、ゆがみ崩れることもあります。
そのゆがみ崩れる様をすら美しく表現できるのが漫画作品です。
なのでたぶん普通の腐女はゲイビを観ないのでしょう。
……
余談ですが、写真に現れるお顔の好みと、動画を再生してみて初めてわかる表情の好みって、明らかに違いますよね。
ってことを書いている今はじめて気がついたんですが、その両方を備えているからこその、芸能人なのかもしれなぁ。
BLCDとの再会。
ここまでの3つのエントリで、腐り始め~声優沼のあたりまでをお話ししました。
今回はその後の、BLCDとの再会についてです。
シチュエーションCDである程度安定した睡眠を得ることに成功したわたしですが、その中でも特にお気に入りの声優さんがいました。
「SEVENTH HEVEN」の歌唱でわたしを号泣させた例の方です。
この声優さん、他にも何か歌っているのだろうか。
そんな好奇心から、またしてもオタクの魂に火が点きます。
ウィキペディアから活動歴を調べ、手に入るだけ音源を購入し、とにかく彼の声を聴かない日はないという生活をしていました。
その過程で、youtubeにアップロードされていたBLCDのサンプルと出会うことになります。
ここからの展開はあまりにも怒濤過ぎて詳細を記憶していないのですが、とにかくこの世にはBLCD Wiki*という便利なサイトがあるのですよ。
「こんなモン聴けたものじゃねぇ!」と一度はブン投げたBLCDですが、どうも最近は、そうでもないようだ。
レビューを読む限り、ちゃんとしたストーリーと演出のなされた作品がたくさん出ているらしい。
そういったことを学習し、とにかく改めて聴いてみることにしたのです。
まずは試しにと、当時わたしの中でトップ2だった推しのCDを一枚ずつ購入しました。
レビューを熟読し、多数の方に絶賛されているものを慎重に選びます。
嫌いな食べ物が今も嫌いかどうかを定期的に試す、みたいな気持ちですね。
できればやっぱり今でも大嫌いだったわみたいなことにはなりたくない。
なるべくなら食べられるようになりたい。
好きが多い人生はお得だ。
そんな気持ちで再生したのですが。
やだ何これ素晴らしい……
どちらも原作はBL小説で、お話はしっかりと作り込まれているしキャラクターも抜群。
昔の作品に散見されたような恥ずかしくなる演出や台詞などもなく、むしろ推しの可愛い喘ぎがたったの数千円で聴けるなんて、現代日本に生まれて本当に良かった……!!
と拳を握りました。
おかねが湯水~~。
でもしょうがない!
だって推しを推すのがオタクだから!!
けれどここでもまた、悲劇は繰り返されました。
BLCDってやはり特殊なジャンルで、いつまでも出演してくださる声優さんはごく稀。
たまに復活されることもあるけれど、基本的には新作が2年も出ていなければ、あぁ彼もBLCDからは卒業してしまったんだなぁ、という悲しいことになります。
その悲劇が再び起こりましたよ、えぇ。
ゲイビから離れるきっかけとなった「推しの引退」。
BLCDでも、わたしの推しは新作が途切れがちな時期に差し掛かっていました。
ただ幸いなことにゲイビのときとは違い、他の声優さんでは全くダメだったかというとそんなことはなく。
それ以降に発掘した数名の推し声優さんたちもまた、わたしは順番に卒業を見送っていきました。
そしてこれからもまた気が向けば、新たなる推し声優さんを探す旅に出ることでしょう。
シチュエーションCDとの出会い。
こちらのエントリでお話ししましたが、そんなこんなでわたしはゲイビを離れました。
ひとときの夢をありがとう。また会う日までさようなら。
そんな気分で再び、わたしは商業BLを読み漁る日常へと戻りました。
……
それから数年の間に、うっかりメンタルをやってしまって通院を始めたり引っ越したりなんだりと、人生でもわりと底を見たりしました。
引っ越した先で新しい病院にはどうしても行く気になれず、睡眠さえ改善されれば生きていけると自己判断。
ここでいわゆる「バイノーラルCD」と出会うことになります。
声優さんが催眠効果を狙ったシナリオを朗読してくれる、といった内容のものです。
安眠促進CD『羊でおやすみシリーズ』がわかりやすいですね。
これは名の通り、声優さんが羊を数えておやすみさせてくれるCDです。
物音が何よりの恐怖だったわたしは、それで耳を塞げば寝落ちすることができるようになりました。
こうなると、より良い入眠を探求したくなるのがオタクですよね。
プロの声優さんの中にもいろんな声質の方がいらっしゃって、片っ端から試しては、消去法で眠りやすいものを探していきました。
わたしが求めたのは、全ての音に引っかかりがなく、優しく響き、低すぎないお声。
眠るために聴くのですから、滑舌が気になるなんて論外です。
巷でいわれるところの低音セクシーボイスというのも、かえって気になってしまって眠れません。
シナリオも重要ですが、とにかく自分に合う声優さんを探しました。
そんな中でたどり着いたのが、女性向けゲームコンテンツ制作会社Rejetでした。
「SEVENTH HEVEN」や「帝國スタア」には、本当にとてもお世話になりました。
こうした音源をiPodに取り込み、イヤホンで最小のボリュームにします。
音が小さくて内容が聞き取れないとか、同じものを繰り返して飽きるとかは問題ではありません。
要は環境音楽のようなものが必要で、でもメロディがあると気になって眠れないのです。
そんな面倒なわたしの願いを叶えてくれたシチュエーションCDには、とても感謝しています。
……
眠るためとはいえまずは試さなければなりませんから、休日の昼間、ベッドに横になって一通り再生してみます。
あわよくばそのままお昼寝、というパターンもありました。とにかく当時のわたしにとって睡眠の難易度は高く、眠れるならばいつでも貪欲に眠ろうというスタイルでした。
先にあげた「SEVENTH HEVEN」というシリーズには、ストーリーの最後に1曲の歌唱パートがあります。
その日は他にも購入したCDがありましたので、お昼寝はせず最後まで聴いていました。
ストーリーが終わり音楽が流れ、キャラクターが歌い始めます。
……
…………
何。
なんで。
気付けば嗚咽するほど泣いてしまっていました。
いやぁ笑える。
ドン引きですよね。
いい歳した女がベッドでえぐえぐ泣いている。
けれど間違いなくこのときのわたしは、全くメンタル的なアレから立ち直れてはいませんでした。
お昼寝のつもりで無防備にした心を、素手で思い切りブン殴られたわけです。そりゃあ泣いちゃうわ。
……
というわけで無事に薬品としての睡眠導入剤から離脱できたわたしは、今度は声優さん沼へと嵌まり込んでいくのでした。
以降、現在に至るまで、入眠には必ず「ひとの話す声」を使用しています。
まだ寛解してない系?? ウケるーーww
腐女がゲイビデオに求めたもの。
今回は、わたしがゲイビデオに求めたことと、満たされたもの、満たされなかったものについてお話しします。
こちらのエントリで述べたとおり、腐女を拗らせたわたしは最終的に、ゲイビデオ鑑賞に行き着きました。
そこにはわたしがこれまで夢想してきた『男性同士の性行為』が生々しく収録されており、ありとあらゆるタイプの男性がペロペロパンパンしてらっしゃいました。
妄想ではないリアルなセックスの世界が広がっており、そこは紛れもなく現世に現れた桃源郷でした。
中でもお気に入りはS君(仮名)。
とにかく顔が良い。
ややつり目でクールな印象に、美しい横顔と酷薄そうな唇。
そういうお顔立ちが直球ど真ん中にストライクで、当時のわたしが理想とする整った顔面の持ち主でした。
初めて目にしたオフショットでのイチャイチャに彼が出演していたことも大きかったかもしれません。日本人の芝居でないキスシーンを、初めてわたしに見せてくれたのが彼でした。
そういった刷り込み効果もあって、わたしはすぐに彼の出演作を買い求めるようになりました。
とはいえああいう作品って、そこそこお値段張るんですよね。需要がニッチだから総プレス数が少なくて、結果として割高になるのは致し方ない事情です。
そんなわけで、お財布と相談しながら月に2本~3本のペースで買い集めていきました。
特に気に入っていたのは、男優仲間のN君(仮名)との作品。
こちらも別タイプのイケメンで、優しく涼しげ。だけれど柔和な表情をされる、人気男優さんでした。
まぁ彼、セックスに消極的だったんですけどね。そこはまた別の話ということで。
ともかくこのおふたりが並ぶジャケ写は、美しい以外の何物でもない。
贔屓目ですが、きちんと管理されればアイドルやタレントさんでもおかしくないくらい華がありました。
基本的にその頃から、わたしが頻繁に再生するのは、主に『本番』外のオフショット。
撮影で何度も顔を合わせるうちに自然と仲良くなった彼らが、待ち時間にベッドでゴロゴロしたり、外で食事をしたり。
その隙間で、サービスのようにキスしてくれるんです。
挿入行為はオマケみたいなもので、わたしはそんな彼らのナチュラルなイチャイチャを、繰り返し眺めるようになりました。
さて、またしてもここで、オタク特有の探究心が顔を出します。
彼らのことをもっと知りたい。
その一心で、2ちゃんねるの過去ログを漁るようになりました。
幸いなことに彼らの個人情報が流出しているなどということはなく、そこからわたしが得た情報は、
『あのレーベルは腐女子向け。だからゲイにはあまり好ましく思われていない』
という事実でした。
不思議なことにこの頃、「女性向けに制作されたゲイビデオが、目論見通り一定の支持を得る」という逆転現象が起こっていたらしいのです。
ここ以外にも、そうした「女性をターゲットとするゲイビデオ」を販売しているメーカーは複数存在しました。
わたしもそのマーケティングにまんまと乗っかったひとりというわけです。
余談ですが、『N君×S君』の同人誌が、某プロBL作家の手でコミケに出展されたこともありました。
いやはや、これで「本編より長いオフショットが収録されたアダルトビデオ」の謎が解けましたね。
ターゲティングされた腐女たちは、ある意味では汚い生のセックスよりも、イケメンのキスやイチャイチャが見たい。
だから収録内容も、本番よりオフショットが長くなるわけです。
ちなみにファンイベントのようなものが催され、その様子が収録されたディスクも複数枚、発売されていました。
客席を占める多くは女性であり、さながら本当に、アイドルのファン交流イベントのようでした。
約半年の間にわたしがS君(仮名)に貢いだ総額は、おそらく諭吉10人では収まらなかったと思います。
そこまでハマり込んでのめり込んでいたわたしが何故、ゲイビデオ業界から離れたのか。
答えは簡潔で、S君(仮名)が引退したからです。
AV業界は入れ替わりが激しく、わたしがS君(仮名)と出会った頃には、もう既に彼の引退は決まっていました。
ですのでわたしがリアルタイムで発売に立ち会えたのは、彼の最後の出演作だけです。
以降も好みの男優さんを探してネットの海を徘徊しておりましたが、ついに最初の頃ほどの情熱を注げるイケメンには出会えず。
「女性向けに作られたゲイビデオ」というニッチの中のニッチを好んで鑑賞していたため、「ゲイ男性が抜くために作られたゲイビ」では、満足できなかったのです。
こうしてわたしのゲイビデオへの興味は、徐々にフェードアウトしていきました。
「ポルノグラファー」と「インディゴの気分」1
ご存じです?
これは今後のBL実写化において、間違いなく
メルクマールになる作品です。
原作はBL漫画。
2016年6月と2017年9月に刊行されて、その後ドラマCD化。
先行作品である「ポルノグラファー」が2018年にフジテレビオンデマンド(FOD)で実写化され、好評を得て今春には「インディゴの気分」も同キャストで実写化されました。
これねぇ。わたしドラマCDは聴いてたんですよ。
新垣樽助さん受け作品として絶品で、こちらもとにかく素晴らしい。
ですが、
わたしが今訴えたいのは、ドラマ版の素晴らしさについてなのです。
木島理生役 竹財輝之助さん
久住春彦役 猪塚健太さん
城戸士郎役 吉田宗洋さん
まじイケメン。
お三方とも方向性の違うイケメン。
よくぞご出演くださいました! 拍手喝采! スタオベ! ブラボー!
と叫ばずにはいられない。
FODで配信していますし、内容については問答無用で素晴らしいので是非ご覧ください。
……
と、ここまでが前置きです。
長いですねぇ。
これは今後のBL実写化において、間違いなく
メルクマールになる作品です。
最初に申し上げたとおり、LGBTへの理解が深まる中で、今後もBL作品が実写化される機会は増えてくるかと思います。
古くは大島渚監督の「御法度」が有名ですが、最近でも「おっさんずラブ」や「きのう何食べた?」が絶大な人気を博しています。
また、非常にコアなファンを獲得していることからもわかる通り、そこには常に一定の需要があります。
作品としての供給が少なかっただけで、昔から間違いなく需要はあるのです。
その需要がようやく制作側に認知され、今後もこの流れは加速していくものと思います。
(むしろ加速しろ。もっとやれ。わたしは求めている)
そんな時勢にあって、今後この「ポルノグラファー」と「インディゴの気分」に続いていくであろうBL実写化作品制作者は、まずこの2作品を履修していただきたい。
必履修です。
未履修ではこの作品を超えるものは作れません。
「最近なんかBLとか流行ってるらしいじゃん」などという安易で不届きな企画には、断固としてノーを突きつけます。
この2本を鑑賞し、キャスティング、芝居、脚本、演出、映像美、とかとかとか、っていう高っかいハードルに戦慄いてください。
ここまでの名作が世に出てしまった以上、わたしのような鑑賞する側も「この上」を求めてしまいます。
また、これまでの作品が過去作と比較されてきたのと同じように、これからは「ポルノグラファー」と「インディゴの気分」という素晴らしい作品との比較がなされていくことでしょう。
「「ポルノグラファー」超えはしてなかったよねぇ……」
などという辛気くさいことを、わたしは言いたくない。
個人的には腐女って花粉症みたいなもので、一度発症してしまえばもう死ぬまで付き合うしかないと覚悟をしています。
そんな「何かに目覚めてしまった腐女」のひとりとして、この「ポルノグラファー」と「インディゴの気分」との出会いは、とても鮮烈なものでした。
それこそブログ開設のきっかけとなるくらいには。